日曜日の上毛新聞は、「JomoBook」で新刊を解説付きで紹介してくれる。毎日新聞に目を通すことはできていない拙者であるが、日曜日のこの11面は毎週楽しみにしている。
今日4/30の「JomoBook」では「法の近代」嘉戸一将著が紹介されていた。森のオオカミと子羊を主人公としたフランスの詩人フォンテーヌの寓話から権力と暴力の関係を暴露した話だ。

早速ポチポチ購入。読むのが楽しみである。

さて、狼と子羊は、しばしば童話に登場する動物であり、
その中でも「狼と七匹のコヤギ」は、誰もが知る童話といえるだろう。

改めて、この物語を読んで感じるのは
1 母親(山羊)目線からいえば「親の言うことを聞いたほうがよい。」ということ。
2 子ヤギ目線で考えると「疑うことも必要だ」ということ。
3 オオカミ目線で考えると「何度も挑戦すれば成功できる」ということ。

あれあれ、『オオカミと七匹の子ヤギ』という一つの物語は、視点を変えればこんなに広がるのか。
オオカミ目線でいえば、更に「油断大敵」も加えられる。(お腹が膨らみ寝穢く寝ていたばかりに母ヤギにお腹を切られ石を詰められ溺れ死んでしまうから。)

しかし、それでは表面から読解に留まる。
「オオカミと七匹の子ヤギ」は『目先の情報にとらわれると、物事の本質が見えなくなってしまう』という真理も含んでいるとおもうのは深読みし過ぎたろうか。

母ヤギは子ヤギたちに「オオカミを家に入れてはいけない」と警告し、「姿を変えてくるけれど、声はガラガラで足は真っ黒だからすぐに見分けはつく」と言っている。
コヤギたちはオオカミが家にきたとき足が真っ黒なことに気付き見破る。またオオカミがガラガラ声できたときも、子ヤギたち怪しいと気付き、戸を開けなかった。しかし3度目、チョークで声を変え足を白く塗った狼がきたときは、開けてしまった。

母ヤギは、「姿を変えてくる」とも警告していた。しかし、子ヤギたちは「姿を変える」ことが、足の色と声以外に想像できなかった。だから戸を開け食べられてしまったのだ。

目で見る情報、耳から聴こえる情報をそのまま受け取るだけでは誰もが子ヤギと同じ運命をたどってしまう。
現代は情報が溢れている。発信先の視線が異なれば、正悪は異なる。私たちは情報の裏には経緯や背景、意図など「なぜその情報が発信されたのか」という発信先の理由があることを忘れてはいけない。発信先は、各々の正統性を調達するために発信するのだから。

発言を切り取り、動画を切り取り、写真を加工することは、現代において容易いこと。

大事なのは受信側が考えること、本質を見ようとすること。情報の背景はどうなっているのか?なぜその情報が今出たのか、そして、どうおもわせないのか。
疑ってかかるなんて世知辛い世の中なんて言いたくはなるが、オオカミに食べられたくはないから仕方ない。

本質を見極める手段に、新聞の読み比べがおもしろくお勧めだ。ネットで簡単に読み比べることができることも現代の利器の長所。使わないのは勿体ない。

オオカミとコヤギ、どっちかな。

山﨑 

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