人間らしいものが生まれ始めたのは200万年から300万年ほど前になるそうです。当時のわたしたちは、自分たちが生きていくのに必要なモノを自分たちの手で作り出しました。火を使い、石を叩き。。その頃の人間は右手も左手も器用に使っていたことが、当時の遺跡や道具から推しはかることが出来るそうです。
ところが、千年、二千年と経つうちに、両方とも使っていたのが、右ききが正常で左ききが異常となってきました。どうしてでしょう。
それは人間同士が刀剣の類を使い、殺し合うようになったからです。今では鉄砲や機関銃、ミサイルと殺戮能力の高いものに変わってきましたが、大昔の殺し合いは一対一の戦いです。それに使われたのが刀剣の類。
相手を倒そうとすれば、攻めながら自分の身を守らなければなりません。守るにはどうすればいいか。急所である心臓を突き刺されないようにするのが一番です。
心臓をかばうには、左手で心臓を守り(盾などでも)、そして同時に右手で相手を突く。
右手を使うことがすすめたのは、巧みに刀剣を操り、多くの人の命を奪った者たちでした。生き残ったものは勝者を英雄や神だと褒めたたえました。生き残ったものは歴史を刻めます。右は尚の意味を含んでいるとか、左大臣より右大臣が偉いとか、それらの価値観は、勝ち残った者が作り上げた価値観なのです。
でも、両手両足、両眼、両肺、両つ(ふたつ)あるものは、同じように使えてこそ正常ではないでしょうか。
日光東照宮の陽明門、そこに飾られている【眠り猫】の作者とされている左甚五郎も左ききだったと云われています。私は、左ききだったから名人になれたというよりも、左手も右手も、両手ともに器用に使えたからこそ、名人になれたのだと思います。
前回、右(right)と権利(right)と正義(right)について記載しました。キリストの右に行けば天国に行くことができ、左に行けば地獄に行くことになる最後の審判。
「右」が左よりも優れているとなっています。
勝者の価値観は、ここにも広がっているのでしょうか。
右手左手に、とどまりません。指の使い方にも差別があります。
キリスト教では、十字をきるときに五本指の宗派、二本指の宗派、三本指の宗派があります。もっと細かく分ければ数多の宗派が十字をきるという行為一つにも各々のやり方があり、教義があります。宗教に疎い私には、どちらでもいいようにおもえますが、それは私の無知ゆえ。それぞれの宗派の教義により定めている大切な儀式、やり方があります。しかし、それに優劣の差はないのです。
歴史を学べは、現在ある価値観やイデオロギーが、どこからきたのかを知ることができます。わたしたち人間が知恵を出し合い作り出してきたものは、生活や心を豊かにすることであって、人を殺したり、財産を奪ったり、他国を侵略したりすることではない筈です。刀剣を使って殺した右手を使うことは左手を使うことよりも上だと思っているのだとしたら、何千年も前の私達と変わりありません。自分の右手と自分の左手を握手することは出来ないけれど、自分の右手と誰かの左手は握手することが出来ます。手を繋ぐことも出来ます。手を繋げは、仲良くなれます。自分の右手と左手でできることは、、、祈りです。
最後に、次の言葉を添えます。
夫れ佳兵は不詳の器、物或は之を悪む(兵器はどのようによくても、それが兵器であるかぎり凶器であり忌むべきものである)
故に有道のものは処らず。之を以って君子の居は則ち左を貴ぶ。用兵は則ち右を貴ぶ。兵は不詳にして君子の器に非ず(だから、道をしっている者は兵器に近寄ろうとはしない。徳のある人間は平常左を貴ぶ。いくさでは右を貴ぶ。兵器という名の凶器は君子、徳ある人の道具ではない)
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