スタッフの山崎です。
システィーナ礼拝堂の天井には、ミケランジェロの「最後の審判」が描かれています。
場面は、世紀末。キリストが再び現れ、死者を蘇らせ、人々が生前正しい行いをしてきたか否かにより天国と地獄に振り分ける場面を描いたものです。死者の復活を信じているため、キリスト教信者は亡くなっても火葬せずに土葬して、その日を待つのです。(宗派によって異なります。)
何故か、キリストは十字架に磔され、やせ細って昇天したのに審判の日には筋肉隆々になっています。
キリストの右側にいる人は天国へ、左側にいる人は地獄へいくよう審判が下されるこの場面、
「右」側は善人で、「左」側は悪人と判断されます。
「右」はright、左はleft。
そこからでしょうか、rightは「正しい」との意味に繋がります。
更にrightは、「正しきもの」故に「権利をもつもの」にも繋がります。
右と左のシンボリズムがどうして生まれたのか定かではありませんが、太古から大多数の人間が右利きなのが要因といわれています。
「大多数(マジョリティ)だから良し」とし、「少数(マイノリティ)だから異端」とみなすのは古来からです。
聖書の故事から、「黒い羊効果」と集団心理を表す言葉が作られました。
集団組織の中に黒い羊が一匹いることで、その他大勢の白い羊たちには仲間意識が強まります。
一方で、集団の中にいる黒い羊は、集団の外にいる黒い羊より、もっと低い評価を受けるという現象が起きるというもの。
言わば一種の「排除の論理」が働くことを名付けたものです。
今在る価値観、慣習、制度文化は
大多数(マジョリティ)からつくられたものが多いです。
マジョリティが、異端者「黒い羊」を作ることで、強い連帯感、一体感を生み、集団(国家、宗教等)の力を高めていったことは否めません。
今であれば右利きも左利きも同等視されます。
マジョリティから作られた意見や価値観と、マイノリティ(少数)との相違をどのように解決するかという課題に、ひとつの決まった答などないでしょう。
自由な社会は、寛容、討論、譲歩という民主的過程を通じてのみ、マジョリティとマイノリティの権利という一対の柱に基づく合意に達することができるのではないかと、私は確信しています。
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