近年、放映が減った時代劇。
終盤に桜吹雪や印籠がでてきて、毎度であるが「よしっ!悪は滅びて善が勝つ!」勧善懲悪、安心の結末。
その時代劇のマスターピースといえば断然「忠臣蔵」です!(私の主観(笑))

「忠臣蔵」は、演劇の題目で、歴史的にいえば『赤穂藩討入事件』です。
江戸元禄時代、徳川綱吉の治世、赤穂藩主浅野内匠頭が、饗応接待役中に指南役吉良上野介を、刀を抜いてはいけないとされる殿中松の廊下にて斬りつけたことから御家断絶、その後、筆頭家老であった大石内蔵助を中心に 浪人となった四十七士が吉良上野介宅に討ち入り、藩主墓前に首級を捧げ、切腹となる事件。



事件後、多くの歌舞伎や人形浄瑠璃に取り入れられ演じられました。

私達が知っているストーリー、例えば浅野内匠頭は吉良上野介に嫌がらせを受けた。貢物を贈ったら田舎大名とからかわれた。吉良上野介から嘘の手解きを受けた。堀部安兵衛の戦い、等等は、忠臣蔵を盛り上げるためにつくられたストーリーです。史実に基づいたものもあるでしょうが、全てではありません。それでも、この「赤穂浪士討ち入り事件」は、当時の民衆を熱狂させました。

それでつくられたのでが、「忠臣蔵」です。

このタイトル、正しくは「仮名手本忠臣蔵」です。

仮名手本”とは、読んで字の如く、仮名の手本、つまり当時のいろは歌をさします。いろはにほへと から始まる手習いの手本です。

下記にいろは歌を示します。

読めば、あれ?区切りが違うと思われるでしょう。
いろはにほへと
ちにぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす

このいろはにほへと(いろは歌)、右端の字(沓)を読むと
とかなくてしす」→「咎なくて死す」
つまり無実であるにも関わらず死すとなります!


ん?無実?


赤穂浪士の討ち入りは、
武家諸法度では喧嘩両成敗を定めているにも関わらず、松の廊下での刃傷沙汰の処罰を浅野内匠頭のみを切腹とし、高家筆頭吉良上野介には何もお咎めも無かったことに浪士たちの不満が高まりました。

それまで昼行灯と陰口を叩かれるほど温厚無能(笑)な浅野家家筆頭老の大石内蔵助は、幕府のこの片手落ちの処分に抗議する為に、赤穂浪士47士を引き連れ、辛酸舐めつくして翌年師走に、ようやく吉良上野介を討ち果たすのです。

討ち入り後、大石らは〈幕府は主君に違法な処分を下したが、我々は法を遵守する〉と無言の抗議をしたのでしょうか。幕府に自分たちの討入後の沙汰を委せます。
勝手に吉良上野介を討ち取ったのだから本来ならば斬首刑となりますが、世論は赤穂浪士へ称賛の嵐。これは民衆のみならず一部大名も含んでおりました。
さあてと困った幕府は二か月もの協議を経て、彼等を斬首ではなく名誉ある切腹の沙汰を下します。


忠臣蔵のストーリーはノンフィクションもあると前述しましたが、民衆が、歌舞伎等の演目とする際に「忠臣蔵」ではなく「仮名手本忠臣蔵」と付けたのは、赤穂藩主浅野内匠頭への処罰、藩取潰し(再興されました)等も勿論、ときの治世(犬将軍で有名な綱吉の治世)が行う暴政への強い反発を表していたと思います。

大石内蔵助は、切腹の際「極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人」と辞世の句を読み上げました。

意味は、「仇討ちを終えた四十七士は主君とともに阿弥陀如来の待つ極楽へ旅立ちます。」でしょうか。

赤穂浪士も四十七人、いろはにほへとも四十七文字、謎めいてませんか。

歴史スキの山﨑にお付き合いくださり、ありがとうございます。今後とも宜しくお願いします

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